イベント紹介Event Information
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nca | nichido contemporary artにて、台湾出身のピンリン・ホワンによる個展「川面から昇る夢」が10月29日(金)から12月4日(土)まで開催されます。
ホワンは自身の体験を描き留めたスケッチブックをもとに風景画を描いています。柔らかで透明感のある色彩と、滑らかな筆の痕跡によって独特の世界を創造し、それは実在しない風景でありながらも、どこか懐かしさをと心地よさを感じます。本展のタイトルは、ホワンが読んだ友人の著書、“Dans le Meilleur des Cas (In the Best Case Scenario / 最良のシナリオ)”で引用されたアレキサンドル・ヴィアラテのある著書の一節、「夢が川面から昇り、私は立ち止まる。夢は多くの事を知っているが、それがどこから来たのかは分からない…」に共感し、強く印象に残っていたことからタイトルに反映しています。無意識の奥底にある感情や記憶が混ざり合い、別のさまざまな姿となって現れる夢に自身の本質が反映されるだろうと考えるホワンは、近年は夢や感情の断片も絵画のなかに取り入れようようと、さまざまな色彩の筆致を重ね、新たな手法をもってより重層的な絵画表現を生み出しています。その幻想世界のなかに、私たちがその先に起こるであろうさまざまなシーンを予感させ、新たな気づきをもたらします。本展ではHonggah Museum(台北)で出展された大作含む、近・新作を一堂に発表します。
川面から昇る夢
世界に長い影を落とし、猛威を振るい続けているcovid-19。ソーシャルディスタンスの確保、渡航の制限、各種イベント・集会の開催制限など、パンデミックの渦に呑まれるかのように、昨年の春以降、私たちは絶えず新しい生活様式を強いられてきた。同時代を生きるすべての人が 、暮らしを根本的に一変させたこの悪夢から、未だに目を覚ませずにいる。精神面にせよ、身体面にせよ、強いプレッシャーに曝される日々を過ごすなかで、確かなる知覚を保つには、逍遥(スペースアウト)するほかないのかもしれない。私たちは、もはや想像の世界のなかでしか、真我を風雨から守り、慰めを得られないでいる。
この2年の創作が一堂に集結した「川面から昇る夢」は、黄品玲(ホワン・ピンリン)の4年越しとなるnichido contemporary artでの個展である。心象風景を巧みに掬いあげる彼女は、キャンヴァスという限られた尺と幅のなかで、伸びやかに画筆で物語を紡ぎ、自然を象徴する色彩のひとかたまりに、穂先が奏でるさまざまな細部のおさまりを潜ませてきた。具象と抽象の狭間にある、そんな曖昧な地帯(ゾーン)にこそ、作品の臨場感が宿っているのだ。蒼く澄んだ清冽な色調をメインとした前回の出品作に対し、今回の作品群はどこか温かくも、よりさわやかな息吹を感じさせる。けれども本人に話を伺ったところ、作品が放つ空気感とは裏腹に、アトリエも引っ越すこととなり、次から次へと襲いかかる試練と立ち向かい、先の見えない日々をやり過ごしていたという。コロナ渦の煽りを受けて、彼女をはじめ作家はより弱い立場に追いやられていった。しかしそんな状況下でも、創作活動を聖なる域として、ピンリンは絵画を緒(いとぐち)に、キャンヴァスと心から対峙することで、なんとか現実との距離を測ってきた。制作によって拓かれる世界のなかで、作家もまた絵画から生きる力をもらっているのだ。
以前に比べ、間髪をいれずに作品を一気に描き上げることで、ピンリンの絵画制作は円熟の境地へさらに一歩前進した。《Whisper of the Mountains 》、《Vault of Heaven》シリーズといったラージサイズの作品からは、なだらかで優雅な作者の身体的感覚が顕に見受けられるほか、複雑に漲る情緒が包摂されていながらも、雄大かつ崇高な自然がありのままに呈されている。色の対比、明暗の差からも、統御できない環境との対話の試みが感じられる。《Poetries Lingering in the Mind》、《Le Rêve》、《Dreams on the River》、《Flowing Memory》といったミディアムサイズの作品群は、同じく自然環境を基調としながらも、過去作の構図と比べてウェイトの強弱や緩急のバランスが明確に配置されており、荒涼や凄然とした趣に、刻々と変わる天候の要素がさらに加えられたことで、これら具体的な形象が、平面絵画のなかにさらなる奥行きを生成している。そうしたことによって個々の題が示すものが画面のなかで立体的に位置付けられ、また鑑賞者にも各々の思考の拠り所を与えている。また《La Dolce Vita》、《The Mountain is Dreaming》、《Night Flâneur》、《Feeling at Ease》といった同じ号数のシリーズ作にみる比較的穏やかで温かな色調は、自然と笑みがこぼれる弾指(だんし)の間、実生活における思いがけないターニングポイントを、かろやかに汲み上げている。〈人〉として生きる私たちが日々直面する世の波風や心の機微が、どこまでもイノセントな作品群からなる展覧会のなかで、つまびらかにされているのだ。
個であれ集団であれ、自然にとってヒトの役割はとても小さい。しかし、人がこの地球(ほし)に与えた影響は深く測り知れない。ピンリンの作品は、これまでも生命に対する新しい観点あるいは挑戦を決して呈してはいない。むしろ、私たちの既知が取りこぼし、日々の営みのなかで忘却してしまった思弁を、絶えず観る者に投げかけている。川面のその先にある夢の続きを浮かび立たせることで、今この時代の現実世界、ないし人々の内なる彷徨に応答しているのだ。己と誠実に向き合い、ただひとつの心をしなやかに守ることができれば、絵画もしかるべき時に、きっと私たちに応えてくれることだろう。
Zoe Yeh葉佳蓉 / Houng-Gah Museum キュレーター