イベント紹介Event Information
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小山登美夫ギャラリー六本木にて、60年代末~70年代にかけて起きた芸術運動「もの派」の主要メンバーであり、戦後日本美術を代表するアーティスト、菅木志雄の個展「有でもなく無でもなく」が2022年6月11日(土)から7月9日(土)まで開催されます。
当ギャラリーにおいて、菅は毎年精力的に個展を開いていますが「同じことはやらない」ように毎回異なる関心を持っています。本展では、「有でもなく無でもなく」、「ものは定まった存在でなく(空)、常に変化し続けている」ことに着目し作品を展開。ギャラリースペース奥の部屋全体を使ったインスタレーションと、壁面の立体作品の、全て最新作で発表します。
【菅木志雄と作品制作について –
「あらゆるものは対等の関係にある」
自身の自然観とものの見方で独自のアートを探求しつづける】
60年代の多摩美在学中から、海外に追随するようでは先がないという危機感のもと、日本の、自身独自のアートを模索した菅。
当時イタリアの芸術運動「アルテ・ポーヴェラ」の作家ヤニス・クネリスの生きた馬12頭を展示した作品を見て衝撃を受け、「僕の自然観やものの見方をアートに使ってもいいのだと察知した」と同時に、作庭家 重森三玲や、京都学派、インド哲学の中観論に共鳴。彼らとは異質なものを探求してきました。
木や石、金属、ロープなどの「もの」を用い、切り、曲げ、並べ、ずらし、ちょっとした違いで「もの」自体の見えない存在性を引き出す。そして木枠、床置きの板、窓枠、部屋全体、水面、野外空間など、様々な場を作品の「フレーム」として、ものが最大限活きる場所に配置する。
そうしてものの相互関係や見たことのない新しい景色、状況を作品に立ち表してきました。
「人が自然を作り変えていくのと同時に、自然も人間を作り替えていくのであって、両者は同等の力を持っている」*1
いままで作品の素材でしかなかった「もの」自体や「もの」を知覚する人間へ目を向け、あらゆるものと対等な関係を保持する考えは、生きるため、世界とどう向き合っていくかの普遍的なあり方をも表出します。
その広大な世界観は国内外で高い評価を受けており、いままでに約400以上の展覧会に参加。作品は、ニューヨーク近代美術館、ポンピドゥ・センター、テート・モダン、東京国立近代美術館、東京都現代美術館をはじめとした国内外47もの美術館・アートコレクションに収蔵されています。
今年2021年2月まで出身地である盛岡の岩手県立美術館で開催された、大規模な回顧展「開館20周年記念 菅木志雄展 〈もの〉の存在と〈場〉の永遠」において、建畠 晢氏に「もの派のなかでも菅さんはふくよかで、フレキシブル」と評されました。78歳になる現在においても、菅の思考の鋭敏さと制作への情熱はますます高まるばかりです。
【本展および新作に関して –
「あらゆるものは無に向かって変化している」。ものを、世界を認識するためのアート】
最新作の「間景」は、直角に折り曲げられた複数の小さなトタン板が、白いパネル板に様々な方向に配置されているのみ。それなのに規則性がありそうでないそのちょっとしたずれの重なりや、異素材の組み合わせ、それにより生じる影が複雑に絡み合い、周りの空間をも変容させる豊かな情景があらわれていることに驚かされます。
本展に際し、菅は以下のステイトメントを記しました。
<有でもなく無でもなく>
そこにモノがあれば、特に意識しなくても目に入る。目に入ったモノを何かの用途で使用しようとする考えがあれば、よくそれを確認するだろう。その上で使えるものであれば、手にとったり、さまざまな方向や角度から、それを見るなり、ながめたりする。自分が考える用途にあうかどうかである。実体物である以上、<モノ>の存在性や実在感が思考の前面にでてくる。そのような状態で、とりあえず<これは、いけるかもしれない>と感じるまで身近におく。そして自分の意識の中に自然におさまるようになるまで待つ。待っている間にモノの存在など忘れてしまうことだってあるし、自分が必要とするリアリティーが失われてしまうことだってある。モノとはそういうものである。だからいつでも<無の状態>を想定していなければならない。それゆえあらかじめどんな周囲性によって支えられているか見きわめる必要がある。しかしどんな場合でもモノに固執してはならない。モノはいつでも人の知覚とはちがう流れの中にあるからである。モノは人に対応しているのではなく、有の無の領域に対応しているのである。
菅 木志雄
菅作品において、存在に関しての哲学的思考は欠かせないものであり、特にインドの中観哲学における「空の思想」は重要なものとなります。
「空」とは、「すべての存在はその固有の本質を持たない」こと。植物の種がタネとしての姿はなくしつつも生命として継承されるように、あらゆるものは変化しており、それは相互関係によってのみ成り立つと説きます。
菅がいままで見知った「もの」の意味合いを時間をかけて問い直し、既存の状況から解き放つ。そうしてトタン板、木、石は作品の中で支え合い、生き生きと知らない景色や状況を生み出します。人と物、人と人との関わり方、それを認識させてもらえるのが菅作品の魅力です。
「壁や地面からぐっと出てくる、引っ込む。空間にものの一端が出てくるということが作品の重要な要素です。そういった空間のでこぼこのようなものが思考のひっかかりになるのだと思います。」*2
「ものも人も、いまはどんなに大きく立派だとしても、最終的には無に帰するのが定めでしょう。ならばせめて、無に向かっていく過程に意識を傾け存在を認め、リアリティを感じたいじゃないですか。ものを認識するための有効な方策がアートだと僕は信じてきたし、これからもその考えも変わらない。」*3
世界はもっと果てしないが、認識しないと世界は見えない。菅は、私たちが見過ごしがちな側面に根源的な気づきをあたえ、アートという方法を用いて世の中に問いかけ続けています。
「そうやって豊かに世界をとらえることが、人間性の豊かさにまでつながっていくと僕は思ってますよ。」*4
50年以上第一線で活躍し、現代性あふれる作品制作を続ける、同時代を生きる歴史的アーティスト。菅の最新の作品世界をぜひご覧ください。
*1、3、4 山内宏泰「菅木志雄のアトリエを訪ねて。『日常のなかに、アートへ展開できる動作、行為、状態はいくらでもある」美術手帖ウェブ版、2022年2月
*2 青野尚子「『ものの見方を根本から問い直す。』、カーサブルータス特別編集日本の現代アート名鑑100、2022年5月
※展覧会最終日7月9日[土]には本展カタログを刊行、建畠 晢氏による論考を掲載予定です。