イベント紹介Event Information
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KANA KAWANISHI GALLERYは、SHIKŌ個展「無限について」が2022年4月2日(土)から2022年5月7日(土)まで開催されます。
米国人である晃潤(こうじゅん/ジョナサン・ハーロウ)を中心に、長谷川寛示、伊佐治雄悟の3名のアーティストから成るアーティストユニット・SHIKŌ(しこう)の初個展は、3名がそれぞれの関心事やコンセプトや素材や制作技法を交換しあう準備期間を経て、ようやくこのたびの初個展を迎えます。
晃潤を中心にユニットとして活動をするSHIKŌの作品には、仏像がモチーフとして頻繁に登場します。「仏像」とは、仏陀となった釈迦(ゴータマ・シッダッタ)の像を本来は指しますが、仏陀となった偉大な釈迦の姿は、元来は人の手で表現できないものと思われており、例えばインドの初期仏教美術の仏伝図(釈迦の生涯を表した浮き彫りなど)でも釈迦の姿は決して表れず、足跡、菩提樹、台座などによってその存在が暗示されるのみでした。その後、仏教の創始から500年後とも600年後とも言われる時を経て徐々に釈迦の姿が仏像としてこの世に現出しはじめますが、SHIKŌの提示する仏像は、例えば西洋に渡った仏教思想が文化の伝搬を経て再び日本に現れるということ、あるいは伊佐治雄悟の技法により融解したプラスチックの集合体として抽象化された仏像が提示されること、あるいは曹洞宗・永平寺での修行を経て出家した僧侶でもある長谷川寛示の手で仏具の伝統的技法で制作された木彫の植物を伴っていることなど、いくつもの考察がレイヤーを成します。
3人の個性が化学変化を誘発し合いながら実現するこの度の初個展を、是非お見逃しなくご高覧いただけますと幸いです。
アーティストステートメント
晃潤(Jonathan Harlow)を中心に集まった伊佐治雄悟、長谷川寛示。
仏教への興味を共通の話題として始まった共同制作は、作品を介して行われる対話のようだった。
この対話はzoomの画面越しに、郵送による遠隔の共同作業により、徐々に形を成していった。
不立文字。言葉では表せないものを仏教は説くが、我々のこの対話はどうだろう。
作品を通して共有される三人の思考、試行、嗜好…。
ものを作るというコミュニケーションを経て生まれた奇妙な偶像は、何を伝えうるだろう。
—長谷川寛示
私がアジア系ということもあってか、スウェーデンで知人に「僕のfavorite religionは仏教だよ」と言われた事がある。宗教に好き嫌いもないものだろうと私は面食らったが、確かにそうやって自分で宗教を選択する態度があってもいいかも知れない。彼は実際に仏教徒になったりお寺に行くわけではないので、知識として仏教を楽しんだのだろう。そういう意味では私のfavorite religionも仏教である。
そのなかでも、私の頭を離れないのは「仏説般若波羅蜜、即非般若波羅蜜、是名般若波羅蜜:仏の般若波羅蜜多と説くは即ち般若波羅蜜多に非ず、是を般若波羅蜜多と名付く」という鈴木大拙のいう「即非の論理」である。「AはAでないことを、Aと呼ぶ」という全く筋が通らないことに、作家として共感を覚えるのだ。確かに作品制作には筋道だった考え方が通用しない。またこの「論理」は、言葉や物の持っている多面性も示している。聞こえているものや見えているものが、その本質であるとは限らない。ただの面白い考え方と割り切ってもいいが、私にとっては実際にそうなのだ。
—伊佐治雄悟
師匠は、その一言で悟った、
「なんだ、檗ともあろうに、仏法には何のわけもなかった」
「質問、どういうものが真実の仏であり、真実の法であり、真実の道でしょうか?
どうか、お示しください」
師匠、「仏とは君の心が浄らかなこと、法とは、君の心の輝き、
道とは心がどこもさえぎられないで、浄らかに光ることだ。」
「清浄とは空であり、空とはものに即してものに執しないこと」
—臨済録、柳田聖山訳—
白隠禅師が、「動中の工夫は静中に勝ること百千億倍す」と仰っています。
日々突発的に現れる機会に即して、その辺りを模索しています。
—晃潤