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Yutaka Kikutake Gallerytにて、アーティストデュオNerhol(ネルホル)による新作展「critical plane」が10月30日から11月27日まで開催されます。
本展では、近年継続的に制作を行っている歴史的な記録映像や日常のなかから選ばれた被写体による作品とともに、エドワード・マイブリッジの連続写真を素材にした新たな作品シリーズ「carve out」や、ストーンペーパーを素材にした彫刻作品「cut down」、暗室でフィルムに彫目を刻んだ「fumbling」など、これまでにない新たな試みによる作品も発表します。
飯田竜太と田中義久のアーティストデュオとして活動を続けるNerholは、これまでもふたりの共同作業において両者の対話を極限まで積み重ねることを通じて写真や彫刻といった定義から離れ、Nerholならではの作品の世界を生み出してきました。その軌跡は、写真にも彫刻にも括られない、新たな作品の姿を常に提起するものとして、ある種のcritical plane(=臨界面)として表れ出てきたといえるでしょう。
また近年では、物理学者や生態学者との対話を通じて、自らの作品の姿や制作行為の在り様について顧みる機会を得たといいます。飯田が立体としての完成を目指しながら、田中が平面としての完成を目指す過程、そしてその結果として完成される作品には、例えば、S極とN極がそれぞれの属性を越える瞬間に、そこにある粒子が面積的な粗密は限定的ながらもそのなかで常に動き続けているような状態を示すフラクタル構造との類似性をみることもできます。
私たちの日常に潜む様々な事象が、それぞれに豊かな個性を持ちながら交差しあう姿を作品を通じて明らかにしてきたNerholですが、今回の新作群を通じては、これまでの作品にある要素をさらに強く前面に出すような試みを展開しています。
「carve out」は、人の身体とその時間性の関心を美術史的な引用を通じたものとして、「cut down」は、イメージに対する彫刻的なアプローチを展開してきた試みをより純粋な彫刻の姿を見せるものとして、そして、暗室のなかでネガフィルムを彫刻しそれを露光することで制作される「fumbling」では、イメージを扱う行為を通常とは逆行させ、日々の思考を身体的な行為へと落とし込むものとして、それぞれに展開されています。
ここで動き回っている矢印たちは、(例えば砂粒やボールのような)球状の粒子の集団が流れている時の各粒子の瞬間速度を表している。粒子もある程度高密度に詰まっているとうまく流れられず渋滞を起こすが、あたかも渋滞を自ら解消するかのように、この動画で示されるような謎の流れを勝手に作り始める。とはいえ、これは純粋な物理法則に従って生成している流れであり、物理学によって解明されるべき動きである。
Nerhol 作品に慣れ親しんだ方なら、強い既視感と同時に幾分かの違和感も覚えるかもしれない。彼らの作品の本質的要素である「彫る」流線との類似が明らかである一方、両者のパターンは何か大事なところで一致していないのかもしれない。例えばNerhol作品が彫りの深さによって3次元的な表現になっているのに対して、ここでの流れは完全に2次元的である。時間が奥行き方向に凍結され、彫る作業とともに時間が発展するNerhol作品に対し、動画での時間はただ平面的にのっぺりと流れるだけである。
しかしここでは科学者らしく共通点を積極的に展開してみたい。個々の粒子の動きは全体の流れを効率的に促進するよう自己組織化されているのだが、その動きに沿っていけば時間軸方向に分布した情報を(Nerhol作品がそうであるように)効率的に拾い出すことができるのだろうか?それとも、自然界の動きが多かれ少なかれこのような流れを共有しているからこそ、時間軸方向の情報を取り出すためにはこのような流れで彫ることが必要なのだろうか?Nerhol作品における流線と彫刻の背後には何かしらそのような自然界の根本原理が潜んでおり、その原理を物理学の理論としても表現できるのではと思えてならない。
波多野恭弘(大阪大学教授)