※新型コロナウイルス感染拡大による社会情勢に伴い、美術館およびギャラリー施設において休廊、休館、もしくは会期の変更をしている場合がございます。詳しくは、各施設サイトをご確認いただきますようお願い申し上げます。
あをば荘にて、藤林悠・小野冬黄による「粧いを変える/何かに決めないでおく」が開催されます。
「完璧に抗う方法 – the case against perfection -」は、図師雅人・藤林悠による企画展覧会です。企画者を含む9名と1組のアーティストが、2人展を隔月で開催していきます。第1回目は、藤林悠・小野冬黄「粧いを変える/何かに決めないでおく」
2人展形式の美術展覧会の開催にあたり、事前にリサーチとして出展作家の制作を始めた動機、過去作のすべてについてなど、作品にまつわるインタビューを行い、その内容から抽出しコンセプトを作成しました。アーティストの営みについて彼ら/彼女らの言葉を通してその経験を集積し、発された表現そのものがまた自身の元へ還るまでの過程を垣間見ようとします。
本展に向けて
本展は2017年、アーティストの図師雅人と藤林悠による行われた展示「Enhancement」(※1)に端を発する。「身体」という共有のテーマの認識、そして当時私たちにでさえ、ありふれて聞こえるようになってきていたSingularity(シンギュラリティ、技術的特異点)という、漠然としながらも変化を訴えかけてくる時世への、各々の立ち位置を考えることが展示「Enhancement」の目的だった。
その後も図師と藤林による議論は継続して行われ、2人の関心はSingularityやEnhancementといった力ある言葉には決して括ることができない、アーティストの「営み」(※2)自体へと目を向けていくことになる。生きていく環境の中で、無数の事物の流動にさらされながら、作品を制作し、それを社会に開くアーティストたち。社会に影響を与えつつ、と同時に自らがつくり上げた作品とそれによって生じた社会からの影響を受けて、アーティストもまた変容する。そこには、終わりがみえず、しかし、だからからこそしなやかで毅然とした、社会・環境変化へのアーティストの態度が今も、そして連綿と続く歴史の中にもみてとれる(そして、この態度は他の者たちへ連鎖できる)。
本展「完璧に抗う方法」(※3)は、この「営み」の力学や、それを生みだすアーティストたちが生きる環境を知るために現代を生きる9名と1組の参加アーティストたち(※4)へ、幼少期から現在の活動(収録時)までに至るインタビュー(※5)を長い時間をかけて行っている。展覧会はそのインタビューから紡ぎ出されたアーティストたちの関係性を編成した5つの会期によって構成される。
各会期のテーマは個別性を持つが、ぞれぞれの会期と関係を結ぶことで、現代の私たちが思慮すべき事柄を多重複層的に含んでいるものになるだろう。願わくば、本展のアーティストたちの「営み」が交わり、生み出される複数の環境から湧き出た事物が、また、いつかどこか誰かの、できればあなたの「営み」へと流れ出すことを期待する。
※1 Enhanement … 「増強」「増進的介入」と訳される先端科学医療技術の用語でもある。「治す」のではなく、遺伝子操作、投薬、人体改造など元々の健康状態の身体や精神に影響を「加える」技術。人間観の変質や優生学的差別にも結びつきかねない観点から、議論が重ねられている。展示「Enhancement」はこのトピックから示唆を受け、図師と藤林というアーティストの心身状態とメディウム、そして制作や制作環境との関わりを考え直すものだった。会場はSpace Wunderkammer(2017年3月24日~4月9日、金土日のみ)。期間中、冨安由真、田中永峰 良佑、奥村直樹、菊池良太、佐藤史治と原口寛子を招いてのトークも行った。
※2 「営み」というテーマにおいては、本展の会場となる「あをば荘」も非常に重要な意味を帯びる。2012年より墨田区の古い集合住宅の一部を改装し、企画スペースとして運営しているオルタナティブスペースだが、2階を企画者たち自身の住居にしていたこともあったりと、生活と表現が分かち難く結びつく場でもある。これまで運営に関わってきた者も、アーティスト、美術・演劇関係者、農業関係者、福祉従事者など多様である。
※3 本展のタイトルは書籍「完全な人間を目指さなくても良い理由 遺伝子操作とエンハンスメントの倫理」(マイケル・J・サンデル著、林芳紀・伊吹友秀訳、2010年、ナカニシヤ出版)の原題“THE CASE AGAINST PERFECTION”を、企画者たちが意訳したものである。本著は、企画当初の図師・藤林によるリサーチや対話、振り返りの中でたびたび取り上げられてきたものでもある。
※4 本展によって私たちが意図するものは、本来すべてのアーティストが対象であることは自明である。そのため今回参加をお願いしたアーティストたちは、テーマに照らし合わせた上で、図師・藤林が自分の眼で作品をみて、言葉を交わした、それぞれの具体的な経験に基づく作家が挙げられている。結果的に同世代の作家が集まっている。
※5 本展のために実施されたアーティストたちへのインタビューは、展覧会後にまとめられる記録集にて一部掲載される予定である。
藤林 悠/小野冬黄 「粧いを変える/何かに決めないでおく」
藤林悠とのインタビューでは、彼女が身体と場所の関係性を多様に展開していく活動の形容として「粧いを変える」という言葉が導き出される場面がある。また小野冬黄はインタビューの中で「何かに決めないでおく」と、自身の絵画の原理を追求した果てに至った現在の活動を振り返る。
実際に彼女たちの作品を並べて見ると、共通の言語を紡ぎ出すことに難しさを感じるが、彼女たちの声からは一貫する眼差しを持ちながらも、周囲の状況の変化を受け入れている態度を共通して見ることができるだろう。その視点に立つと、2人の作品は変化を受け入れる態度を示す構成によって成立していることが見えてくる。絵画の支持体や、絵画が掛けられる建築空間への関心から制作されていた小野の作品は近年、ますますその様相を帯びる。作品の構造に穴と、その構造を掛けることができる棒が用いられるようになったことは特筆すべきところだ。その構造によって小野の作品は、いつでも別の形に変わり、いつでも元の形に戻ることができる。また藤林は、部屋の天井照明やコードを撮影した別々の写真を構成する展開や、除湿剤を用いて空気の変化をダイレクトに可視化させる作品に顕著だが、その制作には変化と受容のあり方について問うところが多い。また彼女の場合、自らさまざまなアーティストたちとの展示をオーガナイズし、自身の可能態を拡張しているその活動経歴も見逃すことができない(本企画展もまたその一つだ)。
2人による本展は、この変化と受容をめぐるケーススタディとなるだろう。彼女たちの変容のあり方は、時には周囲や社会のコードを読み取り、自らの粧いを変えるように、そして時には自らが信じてきたものをあえて手放してみるような、周到でさりげなく、かつ大胆な振る舞いだ。彼女たちの経歴を見ても、必ずしも目にみえてわかりやすい変化を感じるのではない。しかし、それはスローで、グラデーションのように行われている。
そこで私たちがまずみるべきは、まさにそのあり方そのもので、変容と連帯を迫られる社会にありながら各々の思想に固執する人々がうごめく現代において、彼女たちの態度は閉塞的なその状況からの前進のあり方ひとつを静かに掲示してくれているように思う。
イベント情報:アーティストトークの公開
各会期の期間中に、参加作家と企画者のトークを収録、ウェブ上で公開。本展のテーマや展示に至るまでの経緯、そして各々が展示にどう向き合ったのか話し合います。詳細は
あをば荘HPにて。