イベント紹介Event Information
エルメス財団では、ニューヨークを拠点に活動する落合多武(1967年神奈川県生まれ)の個展を開催します。落合は、1990年の渡米直後より発表をはじめ、日本では、国公立美術館のコレクションのほか、ワタリウム美術館(2010)での個展や、水戸芸術館(2007)、原美術館(2009)でのグループ展や横浜トリエンナーレ2011への参加などを通じて紹介されてきました。落合の制作活動は、ドローイング、ペインティング(絵画)、彫刻、映像、パフォーマンス、詩や文章の執筆や印刷物など、多様な形態にて実践されています。どの作品も、複数の時間や流動的な思考が含まれており、ひとつの概念がかたちを成しては解体され、また次の思考へと結びついてゆくプロセスとともにある身振りそのものと言い換えられるでしょう。
本展覧会は、四半世紀にわたる落合の作家活動を通して制作された幾つかのシリーズ《M.O》、《Everyone Has Two Places》、 《ashtray sculpture(灰皿彫刻)》、《Itinerary, non?》、《Chopin,Op.97(ショパン、97分間)》など、ペインティング、立体、写真、映像と様々な表現の作品群を組み合わせながら、それぞれの作品が導き出す事柄の連鎖や断絶の中にある自由な遊歩を提案するものです。
タイトルに掲げられている「輝板膜タペータム(Tapetum Lucidum)」は、夜行性動物の眼球内にある輝板(タペタム)という構造物を参照しています。これは、網膜の外側に存在し、暗闇の中のわずかな光を捉えて反射する機能を持ち、猫の目が暗闇で光る現象として理解されているものです。人間の視覚にはないこの輝板は、日ごろ、特段意識をしていないものから光を集め、一瞬の反射光を放つ、軽快でウィットに富んだ落合の表現のようです。それらは断片のようでありながら、断片から全体像を常に揺り動かしてゆくように作用し、ひとつのナラティブに収束することがありません。「暗い場所で光を反射し続ける眼球は、見られるものに対して中間地点にいる」と落合は語ります。その眼球の中をこの展覧会とするならば、その世界は見るものと見られるものが自由に交差する永遠の中間地点を象徴しているのかもしれません。
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世の中には有益なものと無駄なもので溢れている、それであったら無駄なものを考えるのが自然ではないか?1970年代のパンクの後に登場したポストパンクやニューウェーブの音楽を聴き続けたり、ニューヨークの路上で倒れそうにふらふら歩いている人間を観察したり、すぐ横の路面にはネズミが絨毯になっていたり、想像できないことが起こり続ける、そんな半現実がピカビアの絵、ダダと交差したり。90年代初頭、大学院で学生の頃、非常にやる気のない、お金のためだけに教えているから、、と言う(本人いわく、)フェリックス・ゴンザレス=トレスが教員にいた、私はもう少し真面目そうな先生を選び彼の授業を取るのをやめることにした、彼は終始スタジオを持たなかった、もしスタジオがあって、その場所に行けば、仕事をしなくてはと脅迫的に思ってしまうから、、という事らしい、、、今思えば、やっぱり彼は一番良い先生だったのではと思う。
—落合多武「Itinerary, non?」の制作メモから