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ZEIT-FOTO kunitachiにて、渡辺兼人写真展「Material」が9月2日(金)から24日(土)まで開催されます。
ツァイト・フォト・サロンではこれまで9回、渡辺兼人の個展を開催して参りました。第一回の「逆倒都市(さかさとし)」の開催から実に40年の月日が経過しています。今回はツァイト・フォトが国立に移ってから初の個展となりますが、新作のカラー作品「墨は色Ⅱ」を中心に、幅広く過去作も含めた70点を超える作品を展示いたします。これまでの活動を一堂に振り返ることで、渡辺兼人の作品の本質により迫ることのできる、レトロスペクティブな側面をもつ展覧会です。
新作のカラー作品「墨は色」シリーズは昨年初めて発表されました。このタイトルは新作を語ったものというよりは、むしろこれまでのモノクロ・プリントに対し、それらさえもカラーなのだというメッセージと受け止めることができます。ここには、カラー写真の位置付けが、渡辺にとって新たな表現や変化ではなく、これまで以上にシンプルに色を見せた結果であり、つまりは、渡辺兼人が表現し続けてきたことは、はじめから一貫している。そういう強い宣言が込められているように感じられます。
その一貫性を裏付けるようなエピソードがあります。1974年にシミズ画廊で初の個展を開催した後、次作「既視の街」に辿り着くまでの6年の間、渡辺は沈黙して過ごしました。しかし、それ以降はほぼ毎年、展覧会を開催し続けています。立ち止まることなく撮り続けているのです。どうしてそんなことができるのか? それはこの6年の間に「写真に対する考え方がかたまった」からだと作家は語ります。その考え方がすべての作品を、40年以上もの創作活動を貫いているのです。
ただし、渡辺兼人は非常にミステリアスです。「既視の街」以降の彼が捉えてきた、川のある風景や住宅街、薮のある風景は、わかりやすさやテーマ性のある被写体とは無縁の事物であり、表層的に眺めているだけでは「作品」はなかなか見えてこないかもしれません。でも、その一方で、これら美しく洗練されたプリントは、クールというよりはどこか思わせぶりで、物語や哲学をその背景に感じさせるのです。
渡辺兼人の世界を愉しんでいただくために、最後に、もう一つのエピソードをお伝えしておかねばなりません。それは、2015年に京橋ツァイト・フォトでの最後の個展が開かれた際に、創業者の石原悦郎が渡辺兼人と対談をしたときのことです。「なぜ、これまで9回も渡辺兼人の個展を開催してきたのか。どこに惹かれているのか?」という問いに対し、石原は次のように語ります。
渡辺兼人の作品をなぜ気に入ったのかというとね。
そこに「なにもない」からなんですよ。
普通、僕たちは作品を理解しようとして、作品に積極的に介入しようとする。
ところがいいものというのはすごく拒んでくるんですよね。
僕も写真というものを前にして、自分を殺して、その作品が何を表現しているのかを掴もうと、
耐えて耐えてそばにいるんですよ。そうすると、写真の中にある何かが僕に語りかけてくる。
でも、兼人さんは静寂。それは、他の作家にはない。
言葉のレトリックかもしれないけれど、何もないということがあるんだ。
そういう作家って、いるようでいないんです。
僕がジジイになったせいかなと思ったんだけど、そうじゃない。
渡辺兼人の作品を見ていると、非常にエネルギーを生み出されるということがあるんですよ。
ぜひ、お運びいただき、みなさんの中に湧きおこる気持ちを感じてみていただければと思います。
2022年8月 ツァイト・フォト