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シュウゴアーツにて、戸谷成雄の個展「視線体:散から連 連から積」が2022年1月8日(土) から 2月12日(土)まで開催されます。
戸谷成雄 視線体:散から連 連から積——個を起点として拡張する重層的彫刻世界
ギャラリー前室には連鎖した木のかたまり彫刻《視線体−連》、後室には積み上げられた木のかたまり彫刻《視線体−積》が披露されます。
2019年シュウゴアーツ個展において、前室に展示された9つの塊からなる《視線体》と後室の四方の壁一杯に拡散する《視線体−散》に続き、今回の個展では、今年春に制作した《視線体−連》(名古屋のケンジタキギャラリー個展で発表)と最新作《視線体−積》を展示します。
視線体と名付けられたこのシリーズは、塊→散→連→積と連続する彫刻的展開を提示する四部作からなります。
この展覧会で明らかになるのは戸谷成雄の大きな彫刻展開運動理論構想とでも呼ぶべきものです。
無数の塊が散となり
散から連へ:連から積へ:積から塊へ
↓↑
形成された大きな塊を一単位として上位の散が形成され
散から連へ:連から積へ:積から大きな塊へ
↓↑
さらに大きな塊を一単位として
散から連へ:連から積へ:積からさらに大きな塊へ
矢印を双方向に記しましたが、それは循環でもなく、エントロピーでもなく、個から集団群へと拡張し続け、あるいは群から個へと圧縮し続ける連続性を持った曼荼羅的彫刻宇宙観とも言えます。
なぜこのような独特な彫刻観が戸谷にもたらされたのでしょうか。
戦後数十年を経たばかりの1970年代の激動の社会の中で、若き彫刻家戸谷青年が具象彫刻から非具象彫刻に踏み込んでいくにあたり、彫刻がいかに存立可能であり得るかについて思索を重ねた末に到達した独自の彫刻観がここにあります。戸谷が制作を続けてきた基盤がこのような連続性を持った曼荼羅的彫刻宇宙観にあることはあまり知られてきませんでした。
〈個性〉と〈他者〉との交点
〈歴史性〉と〈日常性〉との交点
〈幻想性〉と〈存在性〉との交点
そこに自らの「見えなさ」を突き破る視点、現在性のリアリティを獲得すること。
私たちが日常性の原点から汲み上げるものを、表現の歴史と、自らの表現との相克においてとらえ、そのとらえ返しとしての日常性を新たな質的転換として意識化し、古い質としての日常性を突き破っていかなければならない。
その新たな質とは、自らの内に他者としての眼〈他性〉を取り込む以外にないように思われる。
戸谷成雄「〈幻想性〉と〈存在性〉の交差に向けて」(1975) より引用
こうした連続性を持つ、ある種切迫した彫刻世界観を戸谷が70年代にすでに着想していながら、こうした想念が作品として最初に実を結んだのは80年代後半、戸谷の彫刻家としての評価を揺るぎないものにした《森》であり《地霊》でした。今展ではこうした戸谷の彫刻観の一貫性がはっきりと示されるものになっています。
《森》にも《地霊》にも単位としての個があり、それは展示によって散にも、また連にも、また一体化することで積とも塊とも化す。森の一本一本、あるいは地霊の一つ一つは個として成立していて、無数のチェーンソーによって各々個性を有している。戸谷が「視線体」と名付ける彫刻概念でありかつ単位とでも呼ぶべきものは、ひと筋ひと筋のチェーンソー(視線)によって個別の複層性を有することによって、単位の中にすでに「塊−散−連−積−塊」という連なりを暗示している点で、戸谷の彫刻観は曼荼羅的に隙がなく徹底かつ圧倒的な展開を示しているとも言えるでしょう。
「世界はすでにそこにあるのに、人はなぜ彫刻を作るのか。それは永遠の謎である」という主旨の指摘をしたのは吉本隆明でした(エッセイ「彫刻のわからなさ」)。戸谷成雄はその疑問に今なお答え続けようとしています。
2021年12月 シュウゴアーツ 佐谷周吾