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児玉画廊では6月5日(土)より7月10日(土)まで、戸田悠理「Dreams」を下記の通り開催する運びとなりました。是非ご高覧下さい。
戸田悠理「Dreams」に寄せて
菅原伸也(美術批評・理論)
かつてプリニウスは『博物誌』において、壁に投影された人物の影の輪郭を線でなぞるという行為に絵画の起源を見出した。それは、可能な限り線で輪郭を忠実にたどりその姿を写し出して残そうとするものであっただろう。一方、戸田悠理の絵画作品の多くでは、写実的に描かれた人物像に対して、その輪郭を大まかになぞるようにしつつも、同時にむしろそこから自由に逸れていくような白く太い線がその上に引かれる。すなわち、プリニウスの「絵画の起源」において、線は写実的に輪郭をたどっていくのに対して、戸田の作品ではむしろ線は写実的なものから遊戯的に逸脱していくのである。写実的な人物像が、社会的な慣習に基づいて描かれた、その人の社会的なイメージであり、理性的な人物として社会的に共有された像であるとするならば、そうしたイメージから気ままに逸脱していく戸田の白い線は、人物の理性的イメージにおいて表面化していない隠された非理性的な部分、内面的なものを表していると理解することができるだろう。だが、それは人物において奥深くに潜んでいるものであると同時に、現代のソーシャル・メディア全盛の時代において、ネット上で公然と表面上に露わになっているものでもある。戸田の作品における、白い線の表層性は現代のそうした状況とも密接に関係していると言えるだろう。
そうした非理性的なものは、ソーシャル・メディアを見ればすぐ分かるように、時には暴力や誹謗中傷として表出することもあるが、戸田は必ずしもそれを否定的なものとして捉えているのではない。むしろ、その非理性的なものにおいてこそ、人は、社会を統制している「過去・現在・未来」という継起的時間を超えた「現在」という瞬間を生きることができるのであり、社会的で理性的な関係を超えた新たな関係を他の人々と結ぶことができると考えているのである。戸田の作品に漂っている「多幸感」といったものはそうしたポジティヴな考えと関連している。多くの絵画作品で画面中央にいる人物像の周りを賑やかに取り囲んでいるカラフルな雲や植物は、非理性的な夢のなかの存在であるかのように、目や口を持っていて人間と同じように振る舞っている。それらの雲や植物は、人物上にある白く太い線と時には絡みついたり形態的に呼応したりしつつ、遊戯的なやり方で人物の非理性的な部分とさまざまな関係を結んでいるのである。戸田の作品が体現する非理性的な世界において、人間と雲や植物は、我々の近代社会が暗黙のうちに前提としている人間中心主義を超えて、対等な立場で関わり合って楽しく共生している。
夢が、人間の奥底にある無意識的なものを表層に出現させるのと同様に、戸田の作品における白い線は人間の内奥とソーシャル・メディアの表層とを揺れ動いている。「Dreams」と題された本展は、そうした非理性的な世界がもつポジティヴな面に焦点を当てることによって、夢のような多幸感に満ちた世界を描き出し、夢と同様に非理性的なもののもつ重要性を認識へともたらそうとするのである。