イベント紹介Event Information
※新型コロナウイルス感染拡大による社会情勢に伴い、美術館およびギャラリー施設において休廊、休館、もしくは会期の変更をしている場合がございます。詳しくは、各施設サイトをご確認いただきますようお願い申し上げます。
eN artsにて、山本基個展「迷宮-WHITE DIARY-」が11月12日(金)から12月12日(日)まで、開催されます。
日本では古来より様々な場面で浄化に使用される塩。山本基はその塩を使って制作を続けている作家です。日本だけでなく、ヨーロッパ・アメリカ各地でも大規模なインスタレーションを展開し、「山本基=塩の作家」という認識は世界中で定着して参りました。展覧会終了後には鑑賞者と共にインスタレーションを崩し、各々が持ち帰った塩を海に戻す「海に還る」プロジェクトも行われています。
2010年4月、桜の時期に開催した「たゆたう庭」以来、11年の時を経て、2021年11月 紅葉の時期に、京都祇園の円山公園にて、山本基の最新作品・インスターレーションを皆さまにご覧いただけることを嬉しく思います。本展にて発表するインスタレーションや作品群はコロナウィルスの終息に繋がりそうな予感さえ致します。
2021年10月1日より緊急事態宣言は解除されましたが、気を緩めることなく感染症拡大防止対策を万全に皆様をお迎え致します。マスクの着用・手指消毒のお願いや入場人数制限等々、御来廊の皆様にはご不便をおかけしますが、ご理解の上ご協力いただきますようお願い申し上げます。
eN arts Naomi Rowe
【迷宮を描く理由】
「迷宮」と題した迷路のような文様は、私が20年以上描き続けてきた形です。
私は大切な人との思い出に、今ここに生きる自分がつながっていて欲しいと願いながら、塩や絵具等を用いて描いてきました。複雑に絡み合う路は様々な条件に左右され思い通りに描けないこともありますが、その全てを受け入れながら形を拡げていきます。「迷宮」は必然と偶然が絡まり合いながら生み出される形であり、思い出を追い続ける結果の痕跡、プロセスの集積と言えます。
【迷宮と迷路について】
迷宮と迷路は本来異なる意味を持つ言葉ですが、現代では混同され曖昧に使用されています。迷宮は分かれ道のない一本道で入口と出口まで迷うことなく行き着くことができる形であり、迷路は複雑に入り組んだ道を抜けてゴールに辿り着くことを目指すゲームとして発展した形です。私が描く模様は一見迷路のように見えますが、迷わせることを目的として描いているのではなく、迷宮のように一本で思い出に繋がっていて欲しいとの願いを込めながら描く痕跡です。迷宮という名は、私がそうあって欲しいと願う、希望のタイトルと言えるのです。
忘れないためにつくり続ける
私は家族との思い出を忘れないためにつくり続けています。
1994年、24歳だった妹は脳腫瘍で、25年間連れ添った妻は2016年に乳がんでこの世を去りました。発病から入院、告知、再発、在宅介護、そして死。確かに存在していたはずの大切な「何か」が、目の前から消えてしまった驚きと悲しみ。再び会いたくても、決して叶わない現実。私はこの葛藤に向き合い、かたちにし続けてきました。
作品の多くは、塩で床に巨大な模様を描くインスタレーションです。床に座り、長い時間をかけて描くことで、時と共に薄れゆく記憶を繋ぎ止めようとしているのかも知れません。私は忘却という自己防衛本能に抗う仕掛けとして作品をつくり、別れを受け入れるための納得できる受容のかたちを探しているのです。
「塩」 – 清め、浄化、生命の根源
塩は古今東西、人々の生活に深く結び付いてきました。日本ではお葬式などの慣習としても欠かせない物質です。
私は妹が亡くなった後、人が死ぬとはどういうことなのか、また社会の中で死はどのように捉えられているのだろう、という疑問と向き合いながら制作していました。お経や終末期医療などをテーマに、さまざまな素材を使っていましたが、葬式という儀式に興味を持ったとき選んだ素材が塩でした。
清めや浄化の意味を持っていることがきっかけで使い始めた塩ですが、私はわずかな透明感を持つ白さに強く惹かれました。塩は無色透明な立方体、結晶です。しっとりとしたその優しい色味は、喪失感を感じていた私の心を包み込んでくれました。また、作品の一部となっている塩も、かつては私たちの命を支えてくれていたのかも知れない。そんな思いを抱くようになったから頃から、塩には「生命の記憶」が内包されているのではないかとさえ感じるようになったのです。
塩を使い始めて四半世紀近い歳月が流れましたが、私は今も特別な想いを寄せているのです。
「迷宮」 – 必然と偶然
路を描くこと。それは私の記憶をたどる旅のようなものです。大切な思い出も時と共に薄れてしまいますが、私は消えてしまう前にしっかりと繋ぎ止めておきたいのです。
私は床にゴールのような場所、思い出の場所を定め、そこから描きはじめます。描いている時は、そこに今の自分が繋がっていて欲しいと願いながら描き進めますが、塩の路は途中で意図しない方向に曲がったり、途切れることもあります。私の心の動きや体調だけでなく、床のくぼみや湿度に影響を受けながらかたち作られていくからです。
出来上がった作品はもちろん大切です。しかし、必然と偶然が絡まり合いながら生み出されていくプロセスを私はとても大切にしています。
「たゆたう庭」 – 想い出のレース
作品「たゆたう庭」は、心の引き出しに入れられたまま忘れ去られようとしている思い出を見つけ、それらをつないで渦巻状に展開するインスタレーションです。塩のセル(泡のように見える塩で描かれた形)をつなぎ合わせて、思い出のレースを編むような作品と言えるでしょう。
「渦巻き」と「迷宮」 – 再生、永遠のシンボル
私は長年、東洋と西洋の再生のシンボルである渦巻きと迷宮を描いてきました。渦巻き模様は、主に東アジア地域で生と死、そして強い生命力を示すよみがえりや再生、永遠を意味するシンボルとして用いられてきたもので、例えば縄文土器や弥生時代に製作された銅鐸に描かれた文様がこれに該当します。また、迷宮(実際は迷路状に絡み合った文様)は、スコットランドやギリシャなどで発生した西洋におけるほぼ同義のシンボルと言われています。
海に還るプロジェクト
海に還るプロジェクトは、作品で使用した塩を、プロジェクトの主旨に共感してくださった皆さんの手をお借りして海に還すというものです。展覧会最終日に集まって下さった方々の手で作品を壊し、その塩を集めて、海に還します。
2006年からはじめたこのプロジェクトには延べ数千人の方々が参加してくださり、世界中の海に塩が還っていきました。
「この塩を海に還してください。近くの海、通り掛かりの堤防や旅行で訪れるビーチでも構いません。作品としての形は消えてしまいます。しかし、この塩が海をめぐり、さまざまな生き物の命を支えてくれることでしょう。もしかしたら私たちが再び口にする機会が訪れるかもしれません。もちろん作品の素材として再会できれば、最高の喜びです」