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伊藤美緒「今日の正体」に寄せて
菅原伸也(美術批評・理論)
伊藤美緒のアーティスト・ブックを見て思い起こされるのは、ロールシャッハテストで用いられるイメージである。周知のように、ロールシャッハテストとは、紙にインクを落としてからその紙を二つ折りにして出来る左右対称のイメージを用いた性格検査のことである。伊藤のアーティスト・ブックも同様に、のどの部分を挟んで比較的左右対称なイメージから成り立っているものが多いのでそう感じられるのだろう。ロールシャッハテストのイメージを用いた先行作品としては、たとえば80年代にアンディ・ウォーホルが制作したものがある。しかし、ウォーホルの作品はカラーフィールド・ペインティングを意識したものであり巨大な画面を持つのに対して、伊藤のアーティスト・ブックは、クロッキー帳を用いているためそれほど大きくなく、本という形態に内包された複数のページを鑑賞者が手でめくっていくという身体的行為を伴っている点において異なっている。さらに、それは、ロールシャッハテストやウォーホルのイメージとは違って、伊藤によってさまざまやり方で手が加えられているため見開き左右のイメージが完全に対称というわけではなく多様な差異をはらんでいる。
したがって、左右のイメージは一見同じようでありながら異なってもいるため、伊藤のアーティスト・ブックを見ていく際、我々鑑賞者は、似ている二つのイメージを水平方向に行きつ戻りつしながら何度も見比べるよう誘われることになるのである。さらに、ウォーホルのロールシャッハ作品が一枚のペインティングであるのに対して、伊藤のものは本という形態として、そのなかに複数のイメージが積み重ねられているので、伊藤は制作している際に、先行するページに描かれたイメージを意識しながら新たなイメージを形づくることになるであろうし、ページをめくりつつ鑑賞していく我々も、それら積層しているイメージを垂直方向に見比べるよう誘われるであろう。すなわち、伊藤のアーティスト・ブックを鑑賞するという体験において、水平方向と垂直方向に諸イメージを見比べるという行為が鑑賞者に対して呼びかけられているのである。
同じことは、アーティスト・ブックだけでなく、伊藤のペインティングに関しても言うことができるだろう。それはアーティスト・ブックとは違って一枚の絵画ではありながら、アーティスト・ブックが複数のページを包含しているのと同様に、そのなかに複数のイメージが層として垂直方向に積み重ねられているのである。だが、それらのイメージの層は明確に分離してしまうことはなく、互いに複雑に絡み合っているのであり、それに応じたやり方で伊藤のペインティング作品においても我々は複数のイメージを繰り返し見比べていくことになるだろう。さらに、垂直方向だけでなく、水平方向にもさまざまに異なる要素が展開されているため、それらをもまた互いに比較し関係づけていくよう鑑賞者は誘われるのである。
そして、本展ではアーティスト・ブックとペインティングが両者とも展示されるため、それら異なる二つのメディウムの作品を会場において相互に見比べることをも我々鑑賞者は要請されているのである。