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TARO NASUにてホンマタカシのキノコを主題としたシリーズ「その森の子供」の新規大判プリント12点が7月10日(土)より展示されます。
ホンマタカシ
1962年東京生まれ。
1999年、写真集『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』(光琳社出版)で第24回木村伊兵衛写真賞受賞。
近年の主な個展に、2020-2021年「Eye Camera Window : Takashi Homma on Le Corbusier」(カナダ建築センター、モントリオール)、2017年「La citta narcisista. Milano e altre storie」(VIASATERNA、ミラノ)、 2015年「Seeing itself ? 見えないものを見る」太宰府アートプログラムvol.9 (太宰府天満宮、福岡)など、グループ展としては2019年「窓展:窓をめぐるアートと建築の旅」(東京国立近代美術館、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館を巡回)、2015年「見えない都市を見せる 東京アートミーティングVI」(東京都現代美術館)など。
2011年、東北地方太平洋沖地震に伴って発生した津波は、東京電力福島第一原子力発電所を襲い壊滅的な打撃を与えた。爆発炎上した原子炉は大量の放射性物質を撒き散らし、周辺の森にも深刻な被害をもたらした。放射性セシウム137の半減期はおよそ30年といわれている。同年秋、日本政府は福島県や放射能汚染のひどい東北〜中部地方の森に生える野生キノコの摂取、出荷を制限した。キノコが有するセシウムなど放射性物質を吸収しやすい性質に配慮したからである。これがホンマタカシのキノコをめぐる旅の始まりであった。
2011年秋以降、ホンマは断続的に福島県の森に入り、キノコを撮影するようになった。やがて撮影地はスウェーデン、フィンランド(2011年-2015年)、さらに当時、旧ソ連領だった(現在はウクライナ)チェルノブイリ(2017年)へと進み、しだいに放射能汚染という視点からも離れキノコを愛した実験音楽家、ジョン・ケージの足跡をたどってアメリカ、NY郊外のストーニーポイント(2017年-2018年)にまで広がっていった。
ホンマタカシは言う。「僕はこれら4つの森に入って、その森のキノコ達の微小な声に耳を澄ませた。実際、そうすることしかできなかった。そこには確かに、いくつかの音の波があった。そしてそれらは、4つの森にお互いに響き合っているとしか思えなかった。」
1m前後に引き伸ばされた印画紙の上で、キノコはその繊細な色彩と個性的な造形をあらわにする。一つの個体、あるいは肩を寄せ合うように集まる複数の個体として撮影されたその姿は、「その森の子供たち」の「肖像画」として、人間とは異なる位相に生きる生き物の世界の息遣いを伝えてくれる。
静謐な光のなかに捉えられたこれらの「肖像画」の背景には、複雑に絡み合う現代社会の矛盾が存在することも忘れてはならない。
キノコのみずみずしい生命力はいまなお残存するはずの見えない汚染という影をたずさえてなお、自然の治癒力の象徴であるかのように明るく輝く。だが同時にそれは、淡々と刻まれていく日常のなかで人間が忘れてしまいがちな喪失と恐怖の記憶の生き証人とも、さらにはケージが探求した超自然的なエネルギーの眩惑や独自のアナーキズムの象徴ともなりうる存在なのである。
チェルノブイリの事故発生直後、その放射性物質の5%がスウェーデンに降り注いだ。事故発生後2日間の風向きがその原因である。スウェーデン政府は野生のキノコやベリー、それらを食餌とするナカイやヘラジカの肉の摂取規制を行って、トナカイを食料源かつ収入源として生きるサーメ人の暮らしに打撃を与えた。チェルノブイリは2019年にHBOが制作したドラマ「チェルノブイリ」の放映以降、観光地として人気を集めているが、2017年にホンマが撮影のためにチェルノブイリを訪れた時にはすでに、ツアーガイドが「ホットスポット」と呼ばれる放射線高濃度ポイントのあえて近くを車で通過して、ガイガーカウンターの警告音を聞く体験を「アトラクション」として提供することが行われていた。そしてチェルノブイリの立入禁止区域はいまや、植物の旺盛な繁茂や野生動物の増加など、人間の不可触の楽園の様相を呈しているという報告もある。