イベント紹介Event Information
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Maki Fine Artsでは8月14日(土)より9月5日(日)まで、「Beyond AI」 - FARO Collection アルフレッド・ジャー、ライアン・ガンダー、JODI が開催されます。
FAROコレクションより、3名のアーティストによる作品を展示いたします。是非ご高覧下さい。
インターネットとの異なる関係に向けて——BEYOND AI展に寄せて
菅原伸也(美術批評・理論)
現在のようなAIが出現する以前、1970年代半ばごろに、三目並べ(マルバツゲームとも言う)で本物の鶏と対戦することができる「BIRD BRAIN」というアーケード・ゲームが存在した。もちろん本当に鶏が三目並べをプレイするわけはなく、鶏は、コンピュータが提示する適切な手と連動している点滅するボタンを突くよう条件付けされていたのだった。JODIによる作品《OXO》がその四種類のプレーヤーの中に、「人間」「コンピュータ」「AI」とともに「鶏」を含めているのはこのゲームに由来している。さらに、《OXO》というタイトルも、1952年にアレグザンダー・S・ダグラスが開発した、「世界最初のコンピュータ・ゲーム」とも言われる三目並べゲームから来ている。2015年に、Google DeepMindが開発したAlphaGoが、世界トップクラスの棋士であるイ・セドルを囲碁の勝負で破ったことはいまだ記憶にも新しく、2018年の作品であるJODIの《OXO》も、そのことを意識しているだろう。だが、それは、世界的な囲碁棋士と神秘的なAIとの対戦といった、我々と隔絶する世界とは全く異なっている。《OXO》は、観客参加型の作品であって、観客が四種類のプレーヤーと三目並べで実際に対戦することが可能であり、三目並べという、誰でもプレイしたことのあるシンプルなゲームを通して、コンピュータの歴史、ゲームの歴史を身近に理解し体感することができる作品なのである。
ライアン・ガンダーの《On slow Obliteration, or Illusion of explanatory depth》は、黒いボックス状の装置と、その横に掲示されたテクストとがセットとなった作品である。テクストでは、スマートフォンやソーシャル・メディアがテーマとなっており、スマートフォンの目的とは「時間を消費させること」であって、そこで消費された時間は金銭的な利益と結びついていると批判的に語られている。ウェブサイトやソーシャル・メディアは、ある画像や動画を見させたりあるリンクをクリックさせたりするためにユーザーの視線をある一定の順路で誘導するようにデザインされており、金銭的利益を生じさせるためにユーザーの「時間を消費させる」ことを目的としている。そうしたやり方に対して、ガンダーの装置は、サイトやソーシャル・メディアを閲覧するときのように一点を見つめたりある一定の視覚的経路をたどったりするのとは異なる、装置や視覚のあり方のオルタナティヴを提示している。すなわち、それはスマートフォンの液晶画面上にあるドットのようでありながらも、黒と金の円形状のものがフリップするというシンプルでアナログな仕組みから成り立っており、比較的ランダムであるフリップの動きに備えるため、観者は漫然とその全体をぼうっと見るよう要請されるのである。
アルフレッド・ジャーの《You Do Not Take a Photograph, You Make It》は、本展では額装されたポスターのみが展示されているが、本来、ライトボックスと、持ち帰り可能なポスターがセットとなった作品である。タイトルとなっている「写真は撮るものではなく、創るものだ」という言葉はもともと、写真家アンセル・アダムズによるものであるが、写真や画像を取り巻く環境がアダムズの時代から激変した現代において同じ言葉を読むとき全く異なる意味合いを帯びることとなるだろう。コンピュータやAIによって写真を加工することや完全に偽の画像を「創る」ことは今や誰でも容易に行うことができる。ジャーは、アダムズの言葉を転用し、それをポスターにして観客が持ち帰ることができるようにすることによって、写真や画像を取り巻く状況の変化や、現代における写真や画像の有り様に対して注意を向けさせ、写真の創造者としての責任を意識するよう求めているのである。
本展における三つの作品とも、必ずしもインターネットやAIの存在や意義を否定しようとしているわけではない。むしろそれらは、AIやインターネットと我々との関係を問い直し、今までとは異なる関係性を築くよう、さまざまなやり方で促しているのである。それを実際に行うか、そしてどのように行うかは、本展で三つの作品を見た後の我々に問われているのである。