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gallery αMにて、αMプロジェクト2022として展覧会「判断の尺度 vol. 1 髙柳恵里|比較、区別、類似点」が2022年4月16日(土)から6月10日(金)まで開催されます。
2022年度企画は、ゲストキュレーターに千葉真智子氏をお迎えし、「判断の尺度」をテーマに5組の作家(髙柳恵里、加藤巧、荒木優光、大木裕之、高嶋晋一+中川周)による5つの展覧会が2022年4月16日(土)から2023年3月11日(土)の期間、開催されます。
作家/の判断
髙柳さんの作品は、態度なのだと思う。
そうしてみること。そうはしないこと。こうであってそうでないのを問い続けてみること。
「ここにおいては何ごとも、知っていることのようにやってはいけない、と思っている。」(個展ステートメント Gallery Jin Projects 2010年)
今回の企画の始まりにあったのは、正しい判断があるとしたら、それはどのようにあり得るのか、ということであった。本来、無数にあるはずの正しさに対して、私たちはどのように距離をとり、しかし、そのなかで、何かしらの判断をするとすれば、その根拠をどこに求めることができるだろうか。
アガンベンが『中味のない人間』のなかで最初に投げかけた問いは、作品の評価(美的判断)が作家の経験から奪われ、鑑賞者の立場からのみ検討されてきたことだった。
そこで改めて、作家による選択や判断という視点を導入してみる。とはいえ、作家による判断が、私たちに何らかの指標を提示してくれるとしたら、それはもはや作家の判断という領分を超えているのではないだろうか?
作家自身がそこに最終的に立ち上がったものに驚く。そこで生じた出来事に驚く。それをしたのは作家であるにもかかわらず。
世界を眺める尺度が一つ生まれる。
千葉真智子(豊田市美術館学芸員)
「判断の尺度」
全ては平等に。その呼びかけは、平等であるために過度なまでの正しさを私たちに求める。しかし正しさとはそもそも何だろう。それはときに一つの原理へと向かい、小さな個別の差異を見えなくしてしまうだろう。いうまでもなく、平等であることは同じであることを意味しない。同じでないものを等しいというとき、私たちは尺度を一つにして、個々についてのそれぞれの評価や判断を手放さなければならないのだろうか。そうではなく正しさを超えて区別し、言葉を与えようとすること。それには、私たちが手垢のついた言葉自体を作り直す必要がある。美術と呼ばれるものが少なくとも造形に関わる行為であるならば、その造形=言葉を練り、拠り所にすることで、尺度自体について問い、判断自体を創造的に作ることができるのではないだろうか。独りよがりになることなく、普遍的な外部をもつものとして。
私の判断が普遍性をもつかどうかは他者の判断に賭されている。私の判断を支えるものとして、私の外部を召喚すること。そこで想定されるのは、予め同じ尺度を持たないもの、置き換えできないものであり、その困難な対話が新たな言葉と批評を開く可能性の種となる。
1年の企画をとおして、それぞれの作家とともに判断の尺度について考えてみたい。これまでの尺度を手放して作り直す。この造形=言葉による判断は、世界を測る尺度となる。だからこの行為は、静かに深く政治的でもある。
千葉真智子(豊田市美術館学芸員)