イベント紹介Event Information
※新型コロナウイルス感染拡大による社会情勢に伴い、美術館およびギャラリー施設において休廊、休館、もしくは会期の変更をしている場合がございます。詳しくは、各施設サイトをご確認いただきますようお願い申し上げます。
LOKO GALLERYにて、仙台を拠点とし国内外で活躍している美術家、青野文昭による個展「谷間に生えだす―とあるタテモノのおもかげ」が1月14日(金)から2月13日(日)まで開催されます。
今回の展覧会では、LOKO GALLERYからほど近い渋谷駅周辺のすり鉢状の地形と、その周辺の再開発によって建てられた高層ビル群から着想を得た新作を発表いたします。青野は、ものを「なおす」という営みから、もの本来の存在意義を別の次元へ導く物語性を引き出し、鑑賞者の感覚や精神に何か重要なものを想起させるような作品を制作しています。
トークセッション開催
1月22日(土)15:00-17:00 青野文昭 ✕ 福住廉(美術評論家)
新型コロナウイルス感染症の状況を鑑み、詳細は後日公表いたします。
「谷間に生えだす―とあるタテモノのおもかげ」
青野文昭
いろいろなものが流れ込む窪地。そこに街ができ都市となりさらにより多くのいろいろなものが流れ込む。流れ込みつつ、あるものはさらに別などこかへ流れ去り、あるものは蓄積され膨張し、あるものは破棄され漂流・沈殿する。
例えば「渋谷」という谷底に形成されてきた日本のとある街では、そうした「流れ」を日々体感できるかもしれない。谷間を流れる様々なモノ。水、泥、廃棄物、人、動植物、車、電車、物、情報、欲望、エネルギー、金、、、、。
それらが複雑に交差し入り混じりながら何ものかを発生させていく予感。生み出し、増殖し、さらに何ものかを引き寄せ、破棄する。終わらないサイクルの中の盛衰。様々な情報や広告看板を草花の様に芽吹かせ、人々の視線や欲望を誘発し吸収しまとわりつかせながら、それらを養分として伸びあがる―縦に立つ・建つモノ―「タテモノ」。例えば街の雑多なビルディングは、そうした循環を視覚化してくれているようでもある。それは現在の人類が生み出しえた何か典型的な一つの「かたち」の様なものを示していると感じる。
街が破棄した中古の家具(箪笥など)を収拾し積み上げ、街で収拾した欠片をそれぞれしかるべき個所に埋め込んでいくと、街を構成する「タテモノ」―「雑居ビル」の「おもかげ」が立ち現れてくる。我々の使用している箪笥が、街の「タテモノ」になっていくのは、おそらく必然なのだろう。
箱型を積み上げたビルディングの形式は良くも悪くも、過去から現在まで、人の世が作り出したもっとも代表的な構築規範の一つだと思う。
シンプルで均質かつ効率的ゆえに様々な融通性がある。箱型の内部も外部も、どこもかしこも基本的には同じようなグリット状に、ハコ型スペースが入子状に積み重なり敷き詰められていく。空間を縦に横につなげながら拡張し埋め尽くしていく。現代人の作り出した街は、言わば巨大な「棚」であり「箪笥」でもあるのだ。この基本形は、おそらく人類の頭の構造に由来しているのだろう。結局のところ内に外に様々なスケールの「箪笥」をめぐりながら人々の生が繰り広げられているのかもしれない。
「なおす、ヒト型、タンス:近年の青野文昭の表現について」
清水建人
青野文昭は、拾得物を「なおす」ことで、モノの背景にある物語性を表出させてきた。青野にとっての「なおす」とは、元どおりにすることではなく、モノの固有性を増幅する行為である。あらゆる発泡スチロールの容器、紙の束でしかなくなった古雑誌や書籍、なぜか山中でよく見かけるパイロン、備え付けの収納空間によって不要になるタンスなど、大量生産品である大方のモノ。それらのモノの固有性とは、変色や傷や破損箇所のことだが、それは、誰かに購入されてからゴミとしてうち捨てられ、青野に拾われるまでの過程の象徴でもあるのだ。彼はその時間経過を読み取り、時には過剰に痕跡を反復し増幅していく。そうすることで量産品の由縁すら特別な物語にみえてくる。しかし逆に言えば、それは、決して歴史化されない存在、忘れ去られるだけの存在を「綴る」行為でもあるのだ。取るに足らない物語などないことを示すように。また、横方向に流れ去る時間感覚に抵抗して、縦方向に積層していく時間を表現しているとも言えるだろう。
さて、東日本大震災以降の青野の表現には、多くのヒト型の形態が出現している。震災後は衣服を拾うことが多かったことから、それらを用いることで、自然とヒトのフォルムが増えていったそうだ。当初、呆然と佇むようにモノの内部に浮かび上がっていたヒト型は、近年、活発に動き回るような様相をみせている。そしてヒト型は、支持体であるモノの形態から独立し、「*形代」のように存在し始めているのだ。またヒト型出現と前後して、タンスが用いられることが増え、作品はその矩形を活かして空間に伸張していった。便利な素材としての側面だけでなく、内部に空洞を持つタンスは、開けることをためらわれるほどに使用者の生活の匂いを内包している。そして、暮らしの象徴であったタンスは、収納備えつけの高層集合住居が増えたことで居場所を失った。かつての面影を表面に残し、内部には誰かの匂いを抱えたまま無用の長物となりつつある。そう考えるとタンスは、現代日本の暮らしを綴るためのメディウムとして相応しいのかもしれない。
移ろう人の営みを象徴しながら、青野が呼び起こそうとする古代からの時間の積層を、構造体の基礎として受け止めるタンス。そのうえに青野は、ヒト型の形代を用いながら自在に年代記を綴るのである。あたかも立体的な絵巻物のようにして。
*形代:神道の浄化儀式に用いられる紙の人形。霊魂あるいは精神活動を宿すと言われている。
清水建人(しみずけんと)/せんだいメディアテーク主任学芸員
1976年岐阜県生まれ。2001年よりせんだいメディアテーク学芸員として勤務。主な企画展は「高嶺格 大きな休息」(2008年)、「志賀理江子 螺旋海岸」(2012年)、「ヒスロム 仮設するヒト」(2018年)、「青野文昭 ものの, ねむり, 越路山, こえ」(2019年)、「ナラティブの修復」(2021年)など。