アーロン・シスキンは1903年ニューヨーク生まれ(1991年没)。公立学校に英語教員として勤め、1930年に初めてカメラを手にする。1932年よりフィルム&フォト・リーグに参加(1935年に退会)。1936年にシド・グロスマンの要請によりフォト・リーグに復帰、フィーチャー・グループを組織し「ハーレム・ドキュメント」などを制作。10年来制作していた「タバナクル・シティ」を1941年に発表後、団体の共産党との密な繋がりやイデオロギー面での不寛容さを理由に、同年フォト・リーグを去る。フランツ・クライン、バーネット・ニューマンやウィレム・デ・クーニングといった抽象表現主義の作家らと親交を深め、写真家として唯一、抽象表現主義作品を扱うギャラリーで展覧会を重ねる。1948年にシカゴを訪れ、ハリー・キャラハンに出会う。1949年に英語教師の職を辞し、1951年にキャラハンの誘いでInstitute of Design(旧The New Bauhaus Chicago)で写真を教え、鉄骨造の高層建築を作ったシカゴ派の代表的な建築家、ルイス・サリヴァンとダンクマール・アドラーの建造物を記録した「ルイス・サリヴァン・プロジェクト」(1952-53年)などを制作。その後再びキャラハンの誘いで1971年よりRhode Island School of Designで教鞭を取る。また、非営利団体である写真教育協会の創立メンバーとなる他、文学・写真雑誌『Choice』の共同編集者を務めるなど、写真教育の分野でも多大な貢献を果たした。主な個展に、「Aaron Siskind: Photographs」Alfred University(アルフレッド、1958年)、「The Photographs of Aaron Siskind」George Eastman House(ロチェスター、1965年)、「Siskind from the Collection」The Museum of Modern Art(ニューヨーク、1989年)など。主なパブリック・コレクションに、The Art Institute of Chicago(シカゴ)、Getty Center(ロサンゼルス)、Metropolitan Museum of Art(ニューヨーク)、The Museum of Modern Art(ニューヨーク)など。