イベント紹介Event Information
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MISA SHIN GALLERYにて、沖縄出身の 4 人のアーティ スト、照屋勇賢、石垣克子、伊波リンダ、上原沙也加によるグループ展「PARADISE OKINAWA」 が6月23日(木)から8月6日(土)まで開催されます。
沖縄が日本に復帰して今年で 50 年。復帰後の 50 年で沖縄の風景は一変したといいます。 観光客の激増、開発の波と自然環境の破壊への危惧。一方で米軍基地に派生する理不尽な問 題の数々は、楽園のイメージを付された南国沖縄に、現在までも変わらずに存在し続けてい ます。
照屋勇賢は、ファストフード店の紙袋やトイレットペーパーの芯などを素材に、木々の姿を切り出した立体作品や、沖縄の伝統工芸である紅型の着物で米軍基地や自然環境をモチーフにした作品などで知られるアーティストです。本展では、折り曲げて凹凸を施した紙に文字を切り込んだ水彩レリーフなど、現在ベルリンを拠点に活動する照屋が沖縄で制作した作品を展示いたします。米軍基地を建設するために埋め立てが進む海、開発のために変わりゆく海岸線や森の姿 ― 照屋は二項対立の議論になりがちなきわめてポリティカルな主題に、緻密に練られた多角的な視点と優美さで未来への糸口を探ります。その鮮やかな色彩と詩情豊かな表現には、基地の重圧のもとでも独自の文化や自然と調和することを見失わない沖縄の人々の知恵と歴史から、今でも世界のどこかで続く戦争と自然破壊への警告が託されています。
石垣克子は、米軍基地や米軍用の住宅、戦後変化をしてきた建物や街並みなど、沖縄の風景を描き留めようと試みているアーティストです。沖縄に米軍基地があることが当たり前として育った世代にとって、基地のある風景は、石垣が5歳までを過ごした石垣島のイノー(珊瑚礁に囲まれた礁池)の原風景とともにパラレルに存在します。石垣は2008年に嘉手納基地に隣接するコザ(沖縄市の旧名)にスタジオを移します。自宅からスタジオに通うときに見える基地は時間と共に日常の風景となり、10年ほどの時を経てその風景を描き始めます。米軍基地がもし返還される日が来るならばその風景は無くなってしまう、その時になかったことにはしたくない―。石垣は目の前にある現実の風景から過去の凄惨な戦争に思いを馳せて描き続けます。フラットな色彩と筆使いで描かれる、沖縄の太陽の光を均一に浴びた米軍専用施設や、開発に取り残されたような民家は、見るものの心に沖縄の現実に混在する哀惜と明るさという相反する感情を呼び覚まします。
米軍基地に勤務するハワイ生まれの沖縄人2世の父親の影響で、基地が身近にあった伊波リンダは、自己と外界、沖縄とアメリカ、フェンスの内と外といった境界のあいだで葛藤し、写真を撮ることでその隙間を埋めようとしているように見えます。米軍基地によって沖縄にもたらされるアメリカ文化のアイコンは、沖縄という固有の文化との距離感に踏み込み、自己のアイデンティティーとともに沖縄の風景に差し挟まれます。演出的な方法で沖縄を表現した「矛盾の中で眠る」シリーズ、沖縄に駐留するアメリカ兵の日常やポートレイトを撮影した「Design of Okinawa」シリーズなど、伊波の写真は、対象との独特の距離感や繊細な意識の揺らぎを映し出し、その感性は見るものを惹きつけます。
上原沙也加は学生時代を過ごした東京で感じた、生活から切り離された沖縄のイメージへの違和感から、沖縄に戻り撮影を始めます。メディアに溢れる沖縄のイメージの多くは青い海や癒しの楽園、また基地問題の現場など、紋切り型の表現に留まり、見られる場所として消費されているように感じると言います。2016年から2022年にかけて沖縄島で撮影された「The Others」には、生活の場としての風景が捉えられています。現代日本のどの都市にも共通する街並みや建築とともに、その風景にある日常を覗き込むと、米軍基地やアメリカ文化の影響がそこここに立ち現れ、しかし壊されてもなお確固として存在し続けてきた沖縄的なるものに、人々の営みの一端を重ねることができます。淡々とした写真の断面に重層的に存在するイメージは、この場所が重ねてきた複数の時間を読みとることでもあるのです。
4人のアーティストがそれぞれの手法と多様な視点で、沖縄の過去、現在、未来を考える「PARADISE OKINAWA」をぜひご高覧ください。