※新型コロナウイルス感染拡大による社会情勢に伴い、美術館およびギャラリー施設において休廊、休館、もしくは会期の変更をしている場合がございます。詳しくは、各施設サイトをご確認いただきますようお願い申し上げます。
※会期を4月13日[水]まで延長いたします。
アートコートギャラリーにて、2018年に続いて2度目となる川田知志の個展「彼方からの手紙」が2月26日(土)から4月13日(土)まで開催されます。
川田は、都市における空間と人、そして美術表現の関わりを、壁画を軸とする表現によって問い直しながら制作・発表を続けています。その手法は、漆喰と顔料で描く伝統的なフレスコ画の技法に現代の造形素材を融合させるとともに、特定の壁・空間からの自立や、それによって生まれる時間の流れを取り込むことで、新たな表現の可能性を探るものです。本展では、作家自身の生きる時代を特徴づける「郊外の景色」をモチーフにしたフレスコ画から、壁画の移設技法を応用してその描画層のみを引き剥がし、カンヴァスの上に移し替えた新作群を発表します。200号大の作品を中心に、展示空間と作品、身体の関係を見極める川田ならではの構成となります。都市近郊のどこにでもある“匿名”の風景と、固有の壁面と繋がりを持たないイメージの皮膜。両者が結びつくことで生まれる作品は、壁画とタブローの狭間で揺らぎながら「今ここ」との微妙な距離感をまとう存在として鑑賞者に差し出されます。ここではないどこか、今ではないいつか、これではない何か—「彼方」と交信を続ける川田の表現を通じて、私たちがその先に想像するのは果たしてどのような景色なのでしょうか。
トークイベント
2月26日 [土] 14:00-15:30
奥村一郎(和歌山県立近代美術館) × 川田知志
*予約制(先着20名様)、ご予約はメールにて承ります(info@artcourtgallery.com)。
*詳細は
ウェブサイトにてご案内いたします。
◆ 作家ステイトメント
彼方からの手紙/
彼方とは何か。その言葉自体に途方もない時間と距離を感じています。どこにいても必ず距離はあり、何をするにも時間がかかります。対象がそこにあるとして、そこからここの距離が思ってる以上に遠いほど、捉える感覚は人それぞれです。それは物理的に要した時間やその時の心情、環境に影響されながら距離を感覚に置き換えるからでしょう。西洋絵画、伝統的な技法、落書き、環境、移動、景色、郊外。どれも作品を構成する要素ですが、それぞれある程度の距離はあります。それらの要素を、自分自身の時代と場所で把握し、時間をかけてその距離を埋めています。時間と距離の感じ方はそれぞれの生活環境と密接に関係しています。強く感じるほど勝手に彼方へと置かれ、雑多な感覚に紛れます。彼方との距離と時間を埋めたいわけではありませんが、その途方もなく感じる感覚を少しでも刺激できればと思っています。それは自分の存在を確認し、報告する作法でもあります。
制作方法について/
私が扱っている壁画は、イメージを壁面に単に描く訳ではなく、場所での意義や主張を持ち、空間を取り込むことでより大きな効果を発揮する表現手法です。公共空間で、その場所周辺の社会理念を現代的な感覚に当てはめて表現するため、多くの場合、その時代を象徴するものになり空間に馴染んだのち、その場所の一部になります。そこで壁画の移動に興味を持ちました。よく語られることですがタブローと壁画の違いは、建築物に直接描かれた/填め込まれた壁画に対し、タブローとはフランス語で、布や板に描かれた持ち運び可能な可搬性のある作品を指します。そしてどの場所とも結びつきがない特徴もあります。そこで壁画を移動させた場合、条件的にはタブローの状態になります。しかし、もし移す行為自体に表現を構成する要素があったとしたら、その移設の先にある状態がタブロー化ではない新たなダイナミズムを獲得できるのではないかと考えて扱いました。今回キャンバスに移し替えます。より強力な可搬性を獲得するためです。これまで、移設を要素にしたとしても、場所との繋がりの強い内容とならざるをえませんでした。作品と空間を総体的にとらえたインスタレーションで構成した結果でした。キャンバスは見る側の既視感を呼び起こし、視認してもらうための仕掛けです。そこに特別な変化を加えます。いかにタブロー化ではなく、視覚を揺さぶり、持ち込んだ場所に対し特別な結びつきが明確ではないにしろ、こちらの場所へ誘いこめるか、私なりの挑戦をします。
モチーフについて/
最近では特に郊外の景色に注目しています。その景色の背景には、戦後、高度経済成長と人口増加に伴い、住宅産業の工業化が本格化し、多くの人が都市部の通勤圏内へと住居を移したことで、消費社会が都市部から市街地へ広がっていったという社会の状況があります。私は80年代後半の生まれで、このような景色は疑いなくあたり前でした。物心がつき、ある程度日本国内を移動するようになると、見たことある景色が都市部から少し離れた地域に多いと感じ始めました。その光景は映画やドラマ作品に登場するどうしようもなく陰鬱とした風景やなんの変哲もない一般的な様子を表す、つまり、ニュートラルに郷愁を抱かせるシステムとして機能しており、それが全国各地に見れる事実から、“郊外”という都市周辺の地域社会が均質化した空間になっていることに気づきました。ここ40年ほどは変わらない景色で、商業施設の移り変わりや自然の侵食はありますが、そのこと自体、私は今の時代を特徴付けていると感じています。
ドローイングについて/
近所の散歩や旅先で目に留まった様子を写真や簡単な線のスケッチで記録しています。ここ最近は、どこかしこで見られる均質化した景色からはみ出た人工的な痕跡、生活感、物同士の重なり、関係性に注目しています。溜め込んだ記録から部分的に要素を拾い上げ、抽象的に変換していきます。記録を繰りかえし眺め、自身の同一性を確認しています。従来から壁面を想定した制作を行うことが多く、空間に対する身体的な動きの流れを意識して抽象的な形を作ります。空間を漂うように構成する意図は、昔雑誌で見ていたグラフィティの定番とも言える文字をねじりながら描く手法からの影響が大きいです。