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※本展は会期の延長を決定いたしました。
21_21 DESIGN SIGHTにて、「2121年 Futures In-Sight」展が2021年12月21日(火)から2022年5月22日(日)までの期間、開催されます。
展覧会ディレクターには、テクノロジーが人類の文化やライフスタイルをいかに変えるのか、その未来を見据えた数多くの書籍や雑誌を手がける編集者の松島倫明を迎えます。
英語では優れた視力を「20/20 Vision (Sight)」と表現します。私たちの「21_21 DESIGN SIGHT」という名称は、さらにその先を見通す場でありたいという、「未来」にむけた想いからつけられました。この展覧会が始まる2021年から、ちょうど100年後―。私たちの活動の名称と同じ数字を持つ100年後の世界に想いを巡らせるところから、本展の構想は始まりました。
古くから人々は、明日の天気から国の繁栄まで、まだ見ぬ先の世界を捉えるために、さまざまな予言や予測を行ってきました。近年では、情報解析や計測に関するテクノロジーの著しい進歩に伴い、より精緻な予測が可能になっているように感じられるかもしれません。しかし、そもそも「未来」は過去の延長線上にだけ存在するわけではありません。
現在、私たちは、世界的なパンデミックを体験し、生活様式やコミュニティのあり方、コミュニケーションの手法などにはじまり、物事の考え方や価値観など、ありとあらゆるものが劇的に変化していく様子を目の当たりにしています。そのことは「未来」がいかに未知なるものであるかを私たちに強く実感させることとなりました。
本展は「Future Compass」(未来の羅針盤)というツールをきっかけに、未来を思い描くだけでなく、現在を生きる私たちの所作や創り出すものに内在する未来への視座を、デザイナーやアーティスト、思想家、エンジニア、研究者など、多様な参加者たちとともに可視化していくことを試みます。身近な存在からまだ見ぬ他者、それらをめぐるさまざまな時間軸へ思いを馳せる中から生まれた未来にまつわる多彩な視座は、会場に集結し、繁茂する草木のごとく複数形の未来を形成していくものとなるでしょう。
「未来」を考えるという姿勢自体を示す本展は、現在を生きる私たちとこれからを生きる世代にとって、デザインとともに明日を創造していくための豊かな洞察力(Insight)を養う機会となることを目指します。
■ディレクターズ・レター
22世紀の歴史の教科書には、「人類はインターネットを、プレパンデミック時代にはほとんどまだ使っていなかった」と書かれていることでしょう。もはや「インターネット」とさえ呼ばれていないかもしれないそれを、わたしたちは20世紀の終わりから少しずつ利用してきました。それでも、いまから100年後の人々から見れば、21世紀のパンデミック以前には、みんな満員電車に乗って朝から学校やオフィスに行ったり、ウイルスや微生物をもち寄って病院に集まったり、物理的に集まれる人だけで意思決定をしたりしていたのは、いわゆる「インターネット」がまだ社会に実装されていなかったからだ、と了解されるでしょう。
かつて哲学者のフリードリッヒ・ニーチェは、「過去が現在に影響を与えるように、未来が現在に影響を与えている」と語っています。過去の積み重ねの先に「いま」があるのと同じように、わたしたちがどんな未来を思い描くのか、その「未来を考える行為」そのものが「いま」のわたしたちの社会や意識を決定しているということです。であるならば、いまこの2021年において、未来を考えるどんな行為が人類の想像力/創造力を決定づけているのか?それを探ることが、今回21_21 DESIGN SIGHTで開催される「2121年 FuturesIn-Sight」の目的です。
だからこの展示は、「2121年がどうなっているか」という未来予測を披露するものではありません。もしかしたらいまの10代やもっと若い方々なら、実際に2121年に答え合わせができるのかもしれませんが、その正誤が重要なわけではないのです。それよりも、「2121年を想像するとはどういう行為で、そこにはどんなインサイト(洞察)があるのか」を問うことが、本展の主旋律になります。
「未来はすでにここにある。ただ均等に行き渡ってないだけだ」という言葉でも有名なサイバーパンクSFの巨匠ウィリアム・ギブスンはコロナ禍での雑誌『WIRED』のインタヴューにおいて、「なぜ人類は22世紀を想像できないのか?」と語っています。そこには、22世紀という「未来」を問うのと同時に、「未来を考える行為」についての深い洞察が暗示されていると思うのです。
20世紀において、21世紀を想像することは比較的簡単でした。国家や企業、世界レヴェルで未来が提示され、実行されてきました。結果的に人類は目覚ましい発展を遂げた一方で、未来同士が衝突して多くの戦争や紛争が起こり、未来の計画からこぼれ落ち取り残された多くの人々がいました。外部不経済の長期的な影響に目をつむってきたことで、いまや急激な気候変動に直面する地球もそのひとつです。
そんな「未来」に生きているわたしたちは、これ以上の未来を描くことに慎重なのかもしれません。でもそれは、「未来を考える行為」を諦めることではありません。そうではなく、たったひとつの、決められた未来に抗うということです。そのための最良の方法は、できるだけ多くの未来を、できるだけたくさんの人々によってプロトタイプしていくことでしょう。本展覧会で「Futures」という「複数形の未来」を提示しているのには、そんな意味が込められています。
人類はこれまでもずっと、未来を想像し、実際に創造してきました(だからこそ、その延長線にわたしたちが存在するわけです)。7万年前にわたしたちの祖先であるホモ・サピエンスに起こった“認知革命”によって、宗教やアートや建築といった文化の歴史が幕を開け、何よりも、実在しない「想像の産物」をほかの誰かに伝えることができるようになりました。それが想像としての「未来」の始まりでもあるならば、未来を考える行為を考える、という本展そのものが、人間を人間たらしめたその根源的な営為をわたしたちが問い直すことだと言えるでしょう。本展に来られたみなさんが未来を考えるという行為に加担し、さらにほかの誰かに伝えようとしたときに、わたしたちはついに「2121年」をこの手に取り戻すことができるのです。
松島倫明