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amanaTIGPにて、村越としや個展「息を止めると言葉はとけるように消えていく」が11月20日(土)から12月18日(土)まで開催されます。
amanaTIGPでは3年ぶり、4度目の個展となる本展では、2012年から2021年にかけて撮影されたパノラマサイズの作品7点を展示いたします。
村越は、2001年より福島県の様々な場所を継続的に訪れており、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに「見えている、見えていない、見ようとする、見ようとしない、とはなんなのか」を自身へ問いかけ、生まれ故郷である須賀川市を殊に撮影地としています。
東日本大震災による津波被害や福島第一原発事故の影響は長期に及んでおり、震災から10年が経った現在も未だ問題を抱えています。福島で生まれ育った写真家という自身のアイデンティティとこのような現状を切り離せないように感じた村越は、できるだけ見た目の変化が少なく長い時間をかけて撮影し続けることができる風景を模索し、10年という年月に亘り海と空を撮り続けました。今回展示される作品は、福島第一原発の南、津波の最大高度よりも高い場所に位置する展望台から撮影された膨大な作品群の一部である、長閑やかな海景です。
(......)それぞれの日常の風景にはそれまでとは別の様々な感情や意思が溶け込み、今までとは違う風景としてそれぞれの認識に大小さまざまな差が出たように感じる、そして過去に福島でとられた写真や自分で撮った写真を見た時の認識も変化していることに自分自身も困惑した。(......)風景とは心の認識によってはじめて存在すると思っている。ここに提示する一見すると変化の少ない海の写真を見たときに、何が変わり、何が変わらなかったのか、そして今起こっていることについて改めて考えるきっかけになれば、それは取り返しのつかない過去やこれから訪れる未来とは別の新しい物語としての風景が見えてくるかもしれない。
2021年7月 村越としや
本展同様パノラマサイズの作品を展示した過去個展「沈黙の中身はすべて言葉だった」では、震災後の福島を撮影した自身の胸中を写真で語りかけました。それから5年、意図や作為を排した不変の視点で故郷の海をじっと見つめ続けた村越の姿勢は、経験や出来事に基づき生まれる「言葉」を作品から切り離し、ただ一つの事実として映る福島の風景の捉え方を、鑑賞者に委ねているように感じられます。