フランソワ・ポンポン François Pompon
- プロフィール
Profile
- フランソワ・ポンポンの生涯
1855 5月9日、フランス、ブルゴーニュ地方のソーリューに生まれる。 父親は高級木工家具職人の親方。その工房で見習いとして働く。
1870 ディジョンで大理石職人の見習いとして働きながら、美術学校 の夜間授業に通う。
1875 パリ近郊グランヴィルにて兵役についたのち、20 歳でパリに出る。
1877 モンパルナスで墓石を彫る大理石職人として働きながら、プティット・エコールの夜間の授業に通う。 カンパーニュ=プルミエール通り3番地に移り住む。
1879 サロンに初出品。肖像彫刻などを出品。
1882 ベルト・ヴレンと結婚。
1888 ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』に登場する少女を題材とした人身大の《コゼット》(︎石膏)をサロンに出品 (︎1900年パリ万博では大理石像で銅賞受賞)
1890 オーギュスト・ロダンの工房で働く(︎93年には工房長をつとめる) ルーヴル美術館でギリシャ、エジプト、アッシリアなどの古代彫刻に関心を持つ。
1895 彫刻家ルネ・ド・サン=マルソーの制作助手を始める。翌年、サン=マルソーについてノルマンディー 地方のキュイ=サン=フィアクルで毎夏を過ごすようになる。
1906 サロンに初めての動物彫刻《カイエンヌの雌鳥》(︎ブロンズ)を出品。エブラールがこの作品の独占的 鋳造権を購入。ポンポンは動物彫刻家としての道を見出す。
1914 第一次世界大戦中、貧窮に陥る。ポンポンはパリの町の彫刻に砂袋をかぶせる仕事などをして 生活をしのぐ。
1920《雉鳩》(︎石)がリュクサンブール美術館に収蔵される。
1921 妻ベルト死去。妻の墓のために《コンドル》を制作。
1922 サロン・ドートンヌに大型の《シロクマ》(︎石膏)を出品、67歳にして初めて高く評価される。 ヴァルシュアニと《シロクマ》などの鋳造契約を結ぶ。
1925 現代産業装飾芸術国際博覧会(︎通称アール・デコ博)で《シロクマ》他が家具とともに飾られる。 フジタ、ルオーとともに、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を受章。
1931 「フランス 12 人の動物彫刻家グループ」結成。会長となる。
1932 レジオン・ドヌール勲章のオフィシエ章を受章。
1933 5月6 日、78歳の誕生日の3日前にパリにて没、ソーリューに埋葬される
- 受賞歴
Award
- 個展
Solo Exhibitions
- グループ展、その他
Group Exhibitions
- パブリックコレクション
Public Collection