イベント紹介Event Information
笹井青依は1986年神奈川県生まれ。武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コースを修了。ニュートラルなグレーの空間を背景に、デフォルメされた木々を描き、その独自の世界観が高く評価されています。笹井がこれまで一貫してモチーフとしてきたのは、山や森に茂る野生の樹木ではなく、人が何かの目的のために植えた、日常の中にあるごく身近な木です。
2019年10月、巨大な台風19号が日本列島を直撃し、各地に甚大な被害をもたらしました。その直後である10月14日、笹井はかねてから行きたいと思っていた青森県下北半島の恐山を訪れました。恐山の秋詣りに行われるイタコの口寄せで、父方の曽祖父と話をすることが旅の目的だったといいます。降りてきた曽祖父とのいくつかのやりとりの後、イタコから父方の曽祖母の墓参りをするよう助言を受け、笹井はその場を後にしました。新作「上へむかって流れる水」は、恐山の宇曽利湖湖畔に湧き出る水が描かれています。硫黄を多く含んだ水は、白い地面を鮮やかな黄色に染め、幾重にも細い筋を描きながら湖へと流れ込んでいきます。その光景は、旅から戻った後も笹井の目に鮮やかに残りました。
2週間後、笹井は曽祖母の墓参りをするため長野県上田市にいました。しかし、先の台風の影響でしなの鉄道が止まっており、山の奥にある墓に行くことはできませんでした。せっかく来たので周辺の地図を調べていると、近くに鳥羽山洞窟という遺跡があることを知り、笹井はそこに向かいます。この洞窟は、古墳時代に近隣に居住した集団が、亡くなった人を葬るために遺体を安置していた場所と考えられています。鳥羽山洞窟のある飛魚という地域は、千曲川の支流である依田川と武石川の合流地点にあり、豪雨によって勢いの増した川の流れで川岸の地形が変わってしまっていました。どこかから流れてきた木々の残骸は橋桁に絡みついたままになっています。岩山の斜面にある洞窟の中に入るためには川を渡らなければいけないのですが、川に降りる道が流されてしまっており、鳥羽山洞窟に行くのは断念しました。
そこから車で15分ほど行った岩谷堂宝蔵寺の裏手に鳥羽山洞窟に似た洞窟があると聞き、行ってみることにしました。岩谷堂洞窟と呼ばれるその横穴も山の岩壁の斜面にあり、調査の結果、数体の人骨や、土師器や須恵器、甕などが出土しています。ぽっかりとあいた胎内のような洞窟は、奥行きが12mほどあり、真っ暗で奥はほとんど見えません。笹井はその場に留まり、ゆっくり目を慣らすと、暗闇の中に3段ほどのゆるやかな段差が見えてきました。この段状の土の上に、太古の人々が亡骸を横たえていたのだと想像しながら、どれくらいそうして眺めていたのか、いつのまにか洞窟の中は笹井一人になっていました。
今回の作品は、この青森と長野の旅の中で笹井が出会った光景や木々をモチーフに描かれました。本展について、笹井は次のように語っています。「絵を描くことは、ある人には意味があり、ある人には無意味だ。完全な薬ではなくある種の毒も含まれるのだと、霊場の地面を思い出しながら描いた。」2年ぶりの発表となる本展では、キャンバスに油彩で描かれた新作絵画8点と水彩ドローイング2点を展示いたします。どうぞご高覧ください。