イベント紹介Event Information
SHOP Taka Ishii Gallery(香港)は、戦後の日本美術史に大きな足跡を残した、いけばな草月流の創設者 勅使河原蒼風(1900年−1979年)と、20世紀を代表する彫刻家の一人であるイサム・ノグチ(1904年−1988年)の2人展を開催いたします。本展では、50年代から70年代にかけて制作された勅使河原の版画、立体作品、書とともに、ノグチが1951年からデザインを手掛けた照明作品「あかり」を展示いたします。
イサム ノグチがうちへきていった言葉がなかなかいい
松をいけて 松にみえたらだめでしょう
松が 松でなくみえることは 大変ですね
彼は日本語がヘタというが こんなにうまい日本語はめったにない
わたしがいちばんきらいな文句
花は野にあるように
というのとよき対照である
この言 利休のものというが あとから愚人のつくった ネゴトにちがいなし
勅使河原蒼風『私の花』講談社インターナショナル 1966年5月刊 p. 108
それぞれに探し求めているものについて決して自慢し合うことのない二人の年老いた泥棒同志
のように、私たちの間には共感の絆がある。私達は全く沈黙を保っている。
イサム・ノグチ「芸術家 勅使河原蒼風氏について」『幻』求龍堂 1977年 p.11
いけばなとは花の美しさにたより、手を加えず花を花器に差す行為ではなく、花の言葉を聞き、鋏を入れ、枝をまげることで完成する造形芸術であると勅使河原は主張し、「花は美しいけれど/いけばなが美しいとはかぎらない/花は いけたら 花ではなくなるのだ/いけたら 花は 人になるのだ」*との言葉を残しました。
ノグチもまた「自然の石に立ち向かう時、自分の考えが邪魔をして困る、しかし自分の形をいれないといけない。あまりにも石がきれいにみえるので、どうやってその美しい形を壊すか、それにはすごい勇気がいる、失敗から始まる」**と述べ、自然の石の美しさを賛美しつつも、重さや硬さといった石の特徴を感じさせない、静謐でありながら親しみを感じる石彫作品を数多く制作しました。
建築家アントニン・レイモンドよりリーダーズ・ダイジェスト東京支社の庭園デザインを依頼されたノグチは、1951年に第二次大戦後2度目の来日を果たし、同支社の落成式に花をいけた勅使河原と出会います。この50年代、勅使河原はモダンアートの実験精神をいけばなに取り入れ、立体作品「群れ」(1953年)に代表されるように、従来いけばなでは用いられない鉄などの素材を用いることで、形骸化した型からいけばなを解放する先鋭的な作品を多く生み出しました。一方ノグチは日本の先史時代の美術に強い関心を示し、日本文化の源流であるアニミズムを色濃く感じさせる広島の平和大橋の欄干「つくる」と「ゆく」を1951年にデザインします(52年完成)。この広島への道中に立ち寄った岐阜にて、伝統的工芸品 岐阜提灯の近代化について市長から助言を求められたことから光の彫刻である「あかり」が生まれました。また52年以降、北大路魯山人のもとで埴輪や勾玉などの影響をうけ、素朴ながら高度な抽象性を備えた陶作品を多く制作しました。
互いの創作の本質を理解しあう二人はその後も交流を重ねます。そして1977年、勅使河原は息子の宏と共に丹下健三設計により東京赤坂に建設中の新草月会館1Fロビーのデザインをノグチに依頼します。直下に草月ホールを抱えるため階段状の特異な形状をした約540平米の大空間に、ノグチは様々な石肌の巨石を配した5層からなる斬新な石庭を完成させます。天井から豊かに降り注ぐ自然光が時間とともに移ろい、最上段から順に石の間を流れ落ちる水のせせらぎが静かに響くこの傑作は「天国」と名付けられ、草月会のいけばな展の場として数多の花がいけられてきました。
本展は、二人が出会い交流を重ねた50年代に制作された「とげ」(1957年)と、1951年にそのデザインが開始された「あかり」シリーズの作品を中心に構成されます。勅使河原の「とげ」は1957年6月に開催された第1回東京国際版画ビエンナーレに展示された作品で、ノグチの「あかり」シリーズの3点は、1980年石庭「天国」を会場に開催された「イサム・ノグチ 勅使河原宏二人展」にて展示された作品です。
協力:一般財団法人 草月会
*勅使河原蒼風『私の花』講談社インターナショナル 1966年5月刊 p. 109
**和泉正敏「イサム・ノグチと《天国》と石」『イサム・ノグチ展』草月美術館 2002年 p. 56
開催場所Place
海外 Shops 4A & 4B, UG/F, Bo Fung Mansion, No.1 St. Francis Yard, Wan Chai, Hong Kong